いすゞの117クーペは1968年12月に発売され、70年代を代表するスポーツカーとして評価されています。スポーツカーランキングでも、その美しいスタイルは常に評価のポイントでした。
117クーペをデザインしたのは、ジョルジェット・ジウジアーロです。カロッツェリア・ギアに在籍していたデザイナーで、後にいすゞピアッツァのデザインも手がけています。
117クーペが世に送り出された当時、いすゞにはまだ優れたプレス技術がありませんでした。その結果手作業による生産となり、初期のモデルはハンドメイド・モデルとして登場します。
1966年3月のジュネーヴ・モーターショーで、コンクール・ド・エレガンスに輝いたデザイン。そのデザインの実現がハンドメイドとなったことで、117クーペはその評価をさらに高めます。
当初のエンジンはG161Wと呼ばれる、1600ccで4気筒のDOHC。いすゞとしては始めDOHCエンジンとなりますが、スポーツカーにとって必要なものだったのでしょう。またこのエンジンは後に、2000ccまで進化することになります。
初期タイプの117クーペは、台湾楠のウッドパネルや発砲レザートリムを採用。内装にも気をつかい、スペシャリティカーとしていすゞが力を入れていたことが分かります。
また日本車初の電子制御燃料噴射装置(ボッシュ社製Dジェトロインジェクション)を搭載した、ECが誕生しています。いすゞが117クーペをフラッグシップモデルとして、いかに力を入れていたかが伺えます。
もっとも117クーペは後輪がリジッドとリーフスプリングで、フローリアン譲りのものです。スポーツカーのハンドリングとしてはいまひとつで、走りのランキングではやや評価を落としていたようです。
その後いすゞは1971年にGMと提携して、機械プレス成型により117クーペを生産し始めます。第二期のモデルとして概観が若干変わります。
グレードは電子制御式DOHCエンジンを搭載したXEを筆頭に、SUツインキャブDOHCのXG、ツインキャブSOCHのXC、シングルキャブSOHCのXTに整理されます。
このモデルチェンジでのデザインは、カロッツェリア・ギアのトム・チャーダ。当時のチーフデザイナーが担当しただけに、正常進化版として流麗なデザインは健在でした。
1977年には最終型となる第三世代モデルに移行し、ヘッドライトが丸型4灯から角型4灯に変わります。エンジンもボアアップにより2000ccに拡大され、その後ピアッツァに引き継がれています。
117クーペはハンドメイド時代から進化をし続けましたが、最終的には量産化により内装の簡素化が行われるなど、高級感はややそがれてしまいます。
しかし電子制御式燃料噴射装置を早期に採用するなど、排ガス規制もクリアしています。いすゞ117クーペは、70年代を代表する国産スポーツカーの1台といえるでしょう。
いすゞのスポーツカーは、70年代を代表する117クーペから後継車種のピアッツァが存在していました。どちらもジウジアーロがデザインした、国産車離れしたデザインが特徴的。現在はスポーツカーのみならず、いすゞは乗用車の生産から撤退してしまっています。
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